Column

日比谷には、「羅紗屋」がある。

60歳代以上のシニアなら「羅紗屋」という言葉に聞き覚えのある方もいらっしゃるのではないか。読みは「らしゃや」。戦前・戦後を通じて日本国内で注文服が隆盛をきわめた時代に、それと呼応するように栄えた商売だ。

マーチャント(規模の大きい服地卸売り商)という1次問屋の下に2次問屋として機能していた「羅紗屋」は、自店の服地見本をテーラーに配り、それをもとに小ロットの服地を受注。一反単位で仕入れてある在庫服地をその場でハサミを使って着分にカットし、配送あるいは受け取りにきてもらうというプロセスで営業していた。

かつてその「羅紗屋」が一斉に軒を並べていた服地街があった。東京の神田須田町界隈(淡路町、岩本町、小川町)、名古屋の中区、大阪の船場界隈だ。1960年の「東京羅紗屋組合」のデータによれば、神田界隈の半径1.5㎞内だけで99店舗(法人、個人)がひしめいていた。従業員数は平均で9名、平均店舗坪数は26坪と一般的なテーラーよりも規模は大きいとは言え小規模・零細な商売である。

1960年代が終わりにさしかかる頃には、既製服が常態化し、テーラーの衰退と連動するように「羅紗屋」も街頭から姿を消していく。「羅紗屋」のメッカとして繁盛していた神田須田町界隈で、現在も純粋に服地だけを扱うお店はおそらく2〜3軒だろうか。名古屋の中区や大阪の船場でも同様にかなりの店が転廃業している。しかし、それでもなお倉庫にお宝のような在庫をしたためている「羅紗屋」がわずかに生き残っている。それらはヴィンテージ服地の供給源の一つにもなっているらしい。

実は、「バタク」では、テーラー業界で言う“油の抜けた”すばらしいヴィンテージ服地をしばしば仕入れている。ションヘル式低速織機で織る希少な英「モクソン」。30年以上前にイタリアのマーチャントが英「マーチン&ソンズ」に別注した珍しい服地。‘60年代に出まわっていた国産の高級服地等々。日比谷店のエントランスには服地のストックヤードが設けられているが、並べられているのは市場にないために服地メーカーへ一反単位で特別注文したものや、希少なヴィンテージ・ストックだ。その有様は、まさにかつて隆盛を極めた「羅紗屋」の存在、あるいはその機能に近い。