Column

思考停止じゃいられない。

sljm

13世紀に活動した英国の哲学者ロジャー・ベーコンはなかなかいいことを言っている。

「人間世界の諸悪の根源は無知に因るものであり、無知の根源は『権威崇拝』『習慣』『群集心理』『虚栄心』にある」。

これを男性の服装文化に照らし合わせてみるとおもしろい。たとえば「権威崇拝」とは、著名な服飾デザイナーやトレンドリーダーの言動を盲信してしまう様子が思い浮かぶ。自分にふさわしいかどうか、似合うかどうかという判断の思考停止状態に気づかず、「あの人が言っているから」「彼のデザインだから間違いない」と権威に判断を委ねてしまう人がいかに多いことか。服飾デザイナーが崇拝されていた‘70年代〜’90年代が顕著だったように思う。

次に「習慣」とは「ずっと前からそうだったので間違いない」というものだ。これも思考停止状態のひとつ。たとえば、自由な職業の人のスタイル。アーティストやクリエイターは個性的な格好をしなければいけない、と思い込むあまり「らしい」格好をしがちである。それが返って個性のない、業界っぽい出で立ちに見えていることをご本人たちは気づいていない。

さて、「群集心理」となると日本人の性格にはドンピシャだ。みんなが着ているから自分も着よう、という心理。「流行」が、端的な例だ。数年後に自分の写った昔の写真を見ると、何ともダサい格好をしている姿に閉口する。でも、ちゃんと当時の「流行」を着ているのに、だ。

最後に「虚栄心」。見栄だ。ブランド品だから、高級デパートの特選品だからといった理由で、「自分のスタイル」ではなく、「価格」で服を着てしまう人。得てしてこういう方は、下品な出で立ちになりやすい。

では、ビスポークの世界はどうだろう。「権威を崇拝」したくてもその対象となる「権威」が存在しない。‘70年代にはスター・テーラーが存在したこともあったが、彼らの矜持は顧客の注文に応えることが第一。腕のいい老舗であればなおさらだ。「習慣」については、顧客の志向・職業・地位ごとに変化するオーダーの世界であるがゆえに、定まった「習慣」は存在しにくい。「群集心理」に至っては、「みんなと同じ」になりたくないからオーダーを選ぶのであって、「流行」とは常に無縁である。そしてビスポークに「虚栄心」があるかと問われれば、ないとは言えない。しかし、ワールド・ブランドとは異なり世界的な有名テーラーでさえ、その店を知る人はきわめて少ない。虚栄の対象にはなりにくいのである。

しかして、ビスポークの世界は「自分のスタイル」を構築すべく、熟慮した「思考」が求められる。矢継ぎ早に投げかけられるテーラーからの問いかけに、無知ではいられないのだ。