Column

なぜ、ジャック・レモンはサック・スーツを着たのか?

ウェルドレッサーが多かった’50年代〜’60年代、アメリカでは西部劇が全盛だったせいか、男の役者にはカウボーイの匂いがつきまといがちでした。そんな汗臭い男優の中にありながら都会の洒脱な男を演じた俳優の一人が、ジャック・レモンでした。キャリアの最盛期は’50年代半ばから’70年代初頭。ビリー・ワイルダー監督の常連俳優として都会的なセンスが溢れるコメディを中心に、知識階級のユーモラスな役柄を得意としていました。「ハッピーロブスター」の弁護士、「アヴァンティ」で演じた全米屈指の企業を経営する社長、「幸せはパリで」のウォールストリートのビジネスマン、「女房の殺し方教えます」のニューヨークで暮らすお洒落なコミック作家・・・。お気づきでしたか。作品も役柄もまちまちなのに、なぜかスーツおよび彼の服装は必ずアメリカ東北部(ニューイングランド周辺)のスタイルで貫き通していることに。しかも、ビスポークだと見て取れる仕立て。なぜ彼は作品の枠組みを超えて、東部のエリート像を体現するような服装に固執したのでしょうか。実は彼のスタイルにこそ、アメリカの多民族国家ならではの人種間における攻防が垣間見えるのです。

ジャック・レモンの家系は英国系移民の典型的な「ワスプ」です。「ワスプ(WASP)」とはキリスト教プロテスタントのアングロサクソン系白人のこと。イギリスから最初にアメリカ大陸にやって来て、独立戦争に勝ち、富と権力を手にし、オールドマネー(代々の上流階級)として君臨してきた民族です。アメリカの人口比で見ても圧倒的な数を有しています。その多数派を形成する「ワスプ」に対して、当初マイノリティを形成していたのが、「ユダヤ系」「ホワイトエスニック(アイリッシュ、イタリア、東欧)」「アフリカ系アメリカン」ということになります。

20世紀前半になると、これらのマイノリティだった移民が増え続け、「ワスプ」を脅かすようになっていきます。そこで、支配力を固めようと奔走したのが、ウォールストリート(経済)とワシントンDC(政治)、そして民族意識を高めるための教育機関(アイヴィーリーグ)などにおける他のエスニックの排除と自身の護持でした。たとえば、1920年代、ハーバード大学、プリンストン大学、エール大学のいわゆるビッグスリーにおいては学生の約6割を「ワスプ」が占めていたと言います。こうした非「ワスプ」に対するオールドマネーたちの戦略により、「東部エリート層」や「エスタブリッシュメント」という言葉の台頭とともに、彼らの地位や支配階層を視覚的に記号化させることを狙ったのがスーツ・スタイルだったわけです。つまり、政治経済の要衝を押さえ、そこで活躍しているエリートこそ「ワスプ」である、と外見から主張したのです。しかし、不可解なことがあります。プロテスタントのイギリス移民である「ワスプ」が選ぶなら、当然スーツは英国スタイルということになるはずですが、不思議なことにユダヤ移民やイタリア移民が創り出したテーラード・スタイルを彼らは選択したのです。S.マックイーンが演じたトーマス・クラウン(映画「華麗なる賭け」)のように、上流「ワスプ」なら、ロンドンのテーラーで仕立てることも難しいことではありません。事実、歴史的にサヴィル・ロウの老舗テーラーを支えてきたのはアメリカの顧客でした。しかし、アメリカの多数派でもある「ワスプ」に対して、家内制手工業の英国テーラーではその需要を補うことなど到底できることではありません。また、プロテスタントあるいはピューリタン的な質素かつ簡素な嗜好から考察すると、あまりにも貴族的な英国スタイルは立憲君主の国ならいざ知らず、民主的な新興国家アメリカには似つかわしくないと判断したのでしょう。さらにいえば、イギリス(旧社会)と決別しアメリカ大陸(新社会)へ移住してきたフロンティアとしての志がオリジナルなモダン・スーツを選択させたとも言えます。

ジャック・レモンの服装をよく見ると、簡素で着やすく、くだけた雰囲気の中に控え目な優美さを備えていますが、その底流にあるのは先述のウォールストリート(経済)とワシントンDC(政治)で活躍するホワイトカラーのビジネス・スタイルと言っていいでしょう。それが意味するものは、かつて労働者階級(ブルーカラー)を指したカトリック系移民との差別化だったのです。レーガン大統領も、ニクソン大統領もホワイトエスニックであるアイリッシュ移民でしたが、プロテスタントであったがためにマジョリティの「ワスプ」より「準ワスプ」として受け入れられた経緯があります。つまり、重要なのはプロテスタントであること。カトリックでは支障があったわけです。同じアイリッシュ系のJ.F.ケネディの場合は、ボストンに生まれ、プレップスクール〜ハーバード大学へと進む典型的な「ワスプ」のコースを歩みながら、カトリックだったがためにその後の数奇な運命が待ち受けていたとも想像できます。ちなみに、ケネディは「ワスプ」の服装スタイルとは一線を画するテイストを好んで着ていました。

このように、多人種国家のアメリカにおいて、スーツは着る人のエスニシティ(民族帰属性)を表すツールとして機能してきた一面があります。それは政治の分野やウォールストリート、さらにはハリウッドでも大きな役割を果たしてきました。ご承知のように、戦後のハリウッドにはウェルドレッサーが数多くいます。ケーリー・グラントなどは典型でしょう。しかし、彼はアメリカ人ではなく、イギリス人です。スコティッシュのショーン・コネリーも違います。ヒーローでもなければ、希代の二枚目でもないけれど、知的でビジネスの才に長け、政治・経済の分野で働く男を演じたジャック・レモン。ボストン生まれで、富裕な家庭に育ち、ハーバードを卒業した彼こそ、「ワスプ」が支配していた時代のアメリカン・ウェルドレッサーと言えるのではなでしょうか。ちなみに、’70年代以降、ユダヤ系やアフリカ系アメリカン、ホワイトエスニックの台頭でかつてのような「ワスプ」の勢力は少なからず退潮して行きます。

参考文献:越智道雄著「ワスプ(WASP)」中公新書刊

イラスト:「幸せはパリで/The April Fools」

主演 ジャック・レモン/カトリーヌ・ドヌーヴ

監督  スチュアート・ローゼンバーグ

公開 1969年

DVD ¥1,020〜(ユニバーサルエンターテインメント ジャパン)