大富豪の役など無理。
海外を拠点にしたリモート詐欺事件が世間を騒がせています。詐欺の実行犯同士は互いに見ず知らずの関係とか。犯行の指示役は現場にはいない。そう言えばこの事件、55年前に公開された「華麗なる賭け(ザトーマス・クラウン アフェア)」を思い出す方も多いのではないでしょうか。マックイーン最初のお洒落系映画として語り継がれる作品です。公開前からマックイーンには洗練された大富豪の役など無理だ、という指摘が多かったと言います。しかし、この主人公の配役は半世紀たった今観ると、マックイーンと製作側の狙いがあったのではないか、と推測したくなる作り込みが多々あります。
身近に思える大富豪。
まず何といってもすでに主役だけで客を呼べる看板スターになっていたマックイーンにとって、どんな役柄や物語であろうが悪くても投資回収分は稼げるという読みがあったようです。だから、彼にとって未体験の刺激的な物語を想定できたのです。誂えの英国製スーツ。給仕のいるボストンの豪奢な家にひとり暮らし。金融で稼ぐ知と才覚。まさにマックイーンがこれまで演じたことのないキャラです。これまでの西部劇、刑事、軍人といったアクション系ヒーローのイメージから抜け出すことができるでしょうか。どうすれば彼がスノッブで洗練された金持ち役になれるのでしょうか。上杖があるわけでもない。育ちが良さそうにも見えません。悪ガキっぽい笑顔にはエスタブリッシュさなどほとんど感じられません。しかし、こうした富裕層のライフ・スタイルが鼻につくところを、マックイーンが演じたことで「ヤツならやってのける」と観客に思わせるところこそが製作側の狙いだったのではないでしょうか。また、自分たち観客(ブルーカラー)の強いヒーローがファッショナブルな大人の世界でも存分に活躍できることを認識させたのです。反面、映画のためにマックイーン本人が絶対に選択しないようなスタイルを奢って(おごって)います。なかでもスーツを仕立てたダグ・ヘイワードの仕事は重要な意味を持っていたようです。
ダグ・ヘイワード
トーマス・クラウンは何を着るか、着るべきか。作品において重要なテーマと考えていた製作陣とマックイーンが出した答は自明の理でした。つまり、想像の産物であるトーマス・クラウンを追求しても限界がある。マックイーンという現実のキャラクターを追い掛けた方がリアリティを持たせることができるというものでした。馬、クルマなど彼が実生活で得意としているスタイルを基本に、チューニングを施して富豪の世界観を構築したのです。サングラス、スポーツ・ジャケット、スニーカーなど細部にわたって自前のものが撮影に動員されました。しかし、富豪のキャラクターを決定づけるスーツがありません。彼は私生活でスーツをほとんど着なかったのです。そこでご指名を受けたのがダグ・ヘイワードでした。マックイーン自らがヘイワードに依頼したと伝えられているように、テーラーとしての名声をすでに勝ち得た男。超一級のクライアントを抱える彼のロンドンのアトリエには、マイケル・ケイン、ヴィダルサスーン、ローレンス・オリビエ、トニー・ベネット、ノエル・カワード・・・が洋服を創りに足しげく通っていたことは有名な話。注文服に対する需要が後退していく時代に、お洒落を楽しむ客層の受け皿になっていました。この時代を境にテーラーの位置づけがファッションデザイナー的な才能へと変化していきます。おそらくダグ・ヘイワードはそんなデザイナー的なポジションにいたため、60年代〜80年代という長いスパンで仕事ができたのでしょう。
似合わないビスポーク。
マックイーンが冒頭のシーンで着た、ブルーグレイ系のグレンチェック スーツ。デザインにおける工夫が当時ロンドンで流行した、ポストマンスタイルのウエストコートです。スリーピースのスーツを着て登場しますが、粗暴で悪ガキっぽいマックイーンを高級紳士に仕立上げる仕事はアイロニカルで楽しい時間だったに違いありません。結果、高級紳士には変身せず、いかにもマックイーンらしいスタイルを返って強調することになり、大方のファンも了解済みという作品に仕上がっています。冒頭にも書きましたが、夜のお散歩、グライダーのパイロット、ポロ競技の選手、サンドバギー・ドライバー、2ドアクーペのロールスなどすべて映画演出上の選択ではなく、実生活のスタイルを盛ることなく描いているのでスーツも似合わない・似合っていない方が彼のスタイルとのリアルな連係が成立していると思うのです。ちなみに、ピアス・ブロスナン主演版(リメイク)*の同名作品がどうも滑りがちだったのはスタイルに対する理解の差だったのかもしれません。つまり、マックイーン作品のスタイル描写に対して、ブロスナン作品のスタイル描写はすべて有償のタイアップ(広告タイアップ)だったからです。しかも1作目のダメ出し&改善という手法で作られていること。オリジナルであるマックイーン版にはダメなんてない、観れば観るほど、完璧な作品なんですから。
*1 邦題「華麗なる賭け」 1968年公開 監督ノーマン・ジュイソン(この作品の前年に「夜の大捜査線」でアカデミー作品賞受賞) 主演 スティーブ・マックイーン
*2 邦題「トーマス・クラウン アフェア」1999年公開 監督 ジョン・マクティアナン 主演 ピアス・ブロスナン