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Special Interviews
佐々木 森一氏
Mr. Morikazu Sasaki|1934年、東京洗足生まれ。慶應義塾大学卒業。建設会社「佐々木総業」社長を務めると同時に、米国南東部を中心に5店舗を展開する日本風ステーキ・レストラン「カンパイ・オブ・トウキョウ」のオーナーを務める。その卓越したお洒落と自己管理能力への執着には、ファッションのプロも舌を巻く 。

Kanpai of Tokyo オフィシャルHP
http://www.kanpaioftokyo.com/

佐々木総業オフィシャルHP
http://www.sasaki-sogyo.com/
―― その儲かった建設業以外に、アメリカで飲食ビジネスも展開されているそうですが。
佐々木氏: 僕は学生の頃からずっとアメリカでビジネスをやりたいな、と思っていたんです。ですから、新婚旅行はその憧れのアメリカに行きました。当時のアメリカというところは、貧乏な日本に比べたらもう驚愕の地ですよ。例えば、初めて訪れたラスベガス、まさに地上のパラダイスじゃないかと思いました。
それで結婚して3年くらい経った頃、ワイフの弟がミシガン大学に留学していて、2回目の渡米時にニューヨークへ会いに行ったわけです。その時、彼のアルバイト先が日本風ステーキ・レストランの「ベニハナ・オブ・トウキョウ」だった。昨年亡くなってしまったけれど、ベニハナのロッキー青木氏は私の慶應高校時代の後輩なんです。トッポイ奴でしたよ(笑)。その当時のベニハナはアイゼンハワー大統領も並んだというくらい人気のあった店でした。そこに勤めていたワイフの弟が、後に僕がアメリカで展開している「カンパイ・オブ・トウキョウ」の社長になるんです。つまり、「これはいい商売だなと、僕もやろう」と思い立って、ベニハナで支配人をやっていたワイフの弟に「他人に使われていてもしょうがない、僕が全部金を出す、お前を社長にするから」と持ちかけてヘッドハントしたわけです。
―― 日本食ステーキ・レストランのスタートはどうでしたか?
佐々木氏: まず、Georgia州の州都Atlantaに「カンパイ・オブ・トウキョウ」の1号店を出店しました。Atlantaの店は7〜8年でクローズしましたね。それで次は、田舎へ田舎へと進出していきました。というのは、Atlantaに出店してみて大都市はダメだ、ということがわかったからです。最大の理由はコンペティターが多いこと。次に選んだのは、South CarolinaやTennessee。田舎へどんどん出店していったんです。新規出店の店はいずれも大当たりしました。Chattanoogaなんてご存じですか?ジャズで有名な町。ここでの出店も成功しています。同じTennessee州のクルマで1時間ぐらい離れた場所にKnoxvilleというところがあって、そこに出店したらまた軌道に乗った。次はFloridaです。
そうこうしているうちに5店舗すべてがうまく行った。まさしく、順風満帆。アメリカのビジネスも、土建屋のビジネスも(笑)。ただ、先輩方から「大きくすれば必ず中小企業は潰されちゃうよ」とアドバイスをもらっていたので、儲かっても事業拡大には慎重でした。アメリカでの出店規模を見ていただければおわかりのように、僕は先輩の忠告を忠実に守ってきたつもりです。
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