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Special Interviews
サンバード V/J-1710
清水氏が乗船していたサンバード V(5世)。写真は、1982年に開催されたハワイ太平洋国際外洋レース「パンナム・クリッパーカップ」時の”サンバード V/J-1710”。S&Sデザインの、54ft艇。レース中のモロカイ沖で撮影された。
©Photo by PANAM Clipper Cup
―― 学生時代、同世代のお洒落な人たちはどこでスーツやジャケットを買っていたんですか?
清水氏: 僕がよく買い物をしていたのは、銀座と青山三丁目の「テイジンメンズショップ」でした。最初の買い物は、ボタンダウンのシャツですね。その頃、知人のお姉さんがアメリカに旅行をするという話を聞きつけたので、ひれ伏すようにお願いをして、当時日本には出店していなかった「ブルックス・ブラザース」でシャツを買ってきてもらったんです。対ドル為替レートが360円固定の時代。シャツは、ブルーとホワイトのオックスフォード地。もちろん、ボタンダウン。今の同社の製品とはカタチも生地も違う。届いた日には、メチャクチャ感激・感涙しました。ちょっと大きいサイズでしたが、うれしくてうれしく、着るのに不都合などもちろんありませんよ。
高校3年生くらいの時でしたが、同級生にも本物の「ブルックス・ブラザース」を着ていた輩は何人かいたはずです。確か「テイジンメンズショップ」のスタッフの中も着ている人がいましたね。とにかく本当の意味で新しいモノが次々と登場した時代でした。ただ、いわゆる当時流行した「みゆき族」風のコーディネイトを志向してわけではありません。トラウザースは普通の丈。今のセレクトショップの店頭スタッフは、当時の「みゆき族」みたいな”くるぶし丈”のパンツを穿いていますよね(笑)。
―― 学生時代、清水さんは、どんな日々を過ごされていましたか?
清水氏: 住んでいたのは横浜で、学校は東京の吉祥寺。大学生活は66年頃でしょうか。東横線と井の頭線を使って通学していました。あの頃は新宿が大嫌いで、帰りは必ず渋谷に寄るのが決まり。ヨット同好会に入って船の世界にも熱中していたんですが、広告研究会も首を突っ込んでおもしろがっていた。研究会には、その後テレ朝で映画の輸入を行う部署のトップになるんですけど、映画とジャズが好きな友人がいて、彼と連んでは、渋谷のJAZZ喫茶「DIG」に入り浸っていました。お茶飲むと言ったってコーヒー1杯で5時間とか6時間居座るのが常識な時代です。
学校がある吉祥寺には、やはりJAZZ喫茶の「ファンキー」があった。亡くなった野口伊織さんという方がやっていた有名なお店で、常連になった僕はそこではいろんなことを教えてもらいました。「清水くん、今日ウエス・モンゴメリーが死んだんだ。喪に服したいから、一日中彼のレコードを掛けまくるよ」という風なことを真顔で言うステキな人だった。
大学になると、青山辺りにもよく遊びに行きました。当時は銀座の「テイジンメンズショップ」か、青山3丁目の交差点―VANの本社1階にあった「テイジンメンズショップ」しか選択肢はなかった。ところが、大学の3年の時に、日大芸術学部に在籍していた渡邊薫さん(後にVANの宣伝部に入り、独立後有名なアートディレクターになる方)が「クルーズ」というお店を原宿にオープンさせたんです。「VAN」よりもう少し大人っぽいのをやりたいと言って、綿ギャバのパンツやオクスフォードのシャツなどをオリジナルで作っていた。デザインはすべて渡邊薫さんだったと思います。残念なことに、その頃「クルーズ」でいろんなアイテムを買ったはずですが、僕のクローゼットには何ひとつ残っていない。靴もオリジナルがあったほど商品企画にチカラを入れていたようです。立ち上がりの2年間ぐらいは渡邊薫さんがデザインしていたと記憶しています。学生時代、足しげく通った思い出深い常連店のひとつでしたね(笑)。
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