batak Colmun

私たちは「貴族の服」など着ない。

2016年01月31日

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いろいろな業種や業態には、いわゆる「業界」という村社会が存在する。そこでは、同業者同士の共通の言語や常識が行き来し、共通の価値を作り上げている。そして、あうんの呼吸でモノゴトが進行し、やがて気付かぬうちに“業界の常識は世間の非常識”という状態を招くことが多々ある。

先般の2020年東京五輪に向けたスタジアム建設のコンペやエンブレムの選定などは、まさしく「業界」という村社会がもたらした異常事態なのかもしれない。さて、紳士服の「業界」でも同じような狭い価値観が闊歩している。それは、何かと言うと「ウインザー公の着こなしが・・・」とか「チャールズ王子のスーツが・・」、あるいは「某服地はジョージ5世がお召しになった・・」といった話がファッション・メディアを含めたアパレル従事者の間で、垂涎の価値を持ってあうんの呼吸で共有されていることだ。

王侯貴族たちが着た典雅なスーツは確かにすばらしいかもしれない。しかしよく考えてみよう。彼らが生きる世界は階級社会のシステムがもたらした非常に特殊なものだということを。たとえば、スーツを注文するにしても一時で数十着をテーラーに作らせる。出来上がった洋服を一度着用しただけで廃棄する場合もある。もちろん幼少の時からテーラード・ウエアはサヴィル・ロウのロイヤルワラントだ。ライフスタイルも俗世間とは違う。財布すら持たないで外出することができ、最初から身分を保証されているので名刺すら持っていない。もっと言えば、電車通勤などしたくてもできない。

日々のリアル・クローズとしてスーツをつくり、主に仕事の場で着る私たちにとって、王侯貴族の着こなしや色柄選びがどれほど役に立つというのだろうか。働く男たちが参考にすべきは、自らの手でこれからの成功や成果を手にしようと奮闘しているビジネスマンであり、技術者であり、起業人だと思う。自身を鼓舞し、仕事を通して新しい価値を創り出し、他者からの信頼やリスペクトを勝ち得るためにスーツを着ている人たちだ。そんな彼らの“自らを高めようとする向上心や美意識”にこそ、スーツを着る意味が内包されているに違いない。

そもそも、働く男たちは貴族ではないし(生粋の王侯貴族に「労働」という概念はない)、貴族の服を着ようとも思ってもいないだろう。また、アパレル「業界」に従事しているわけでもないので、人目を引く奇抜なスーツをつくるモチベーションも持ち合わせていないのだ。業界というものは居心地が良く、ともすれば同じ価値観の人間とばかり接することになり、いつしかお客様のことが見えなくなってしまう。大切なのは業界が志向する洋服ではなく、リアル・クローズとしてスーツを着るお客様の生き方だ、ということを肝に銘じなければならない。