Column

日比谷モダーンズ。

▶奥が日比谷公園。左隅の電柱の手前が現在のbatak日比谷店。正面「アーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)」の右に現在では「ミッドタウン日比谷」が建つ。

写真は戦後の日比谷界隈。左の建物は震災復興期に建てられた「東京宝塚劇場」(以前は日比谷スカラ座)だ。バウハウス様式のデザインで、当時はモダーンな建物として人目を引いたに違いない。銀座から日比谷公園へ向かうみゆき通りは、国鉄のガードをくぐると風景が一変した。「帝国ホテル」、「三信ビルヂング(写真右)」、そしてこの「東京宝塚劇場」といい、ゴシック、アール・ヌーボー、アール・デコ、バウハウスなどの見事な建築様式が一堂に集うブロックを形成していたのだ。そこはまるで日本ではないような都会の風景だったに違いない。

これらの見事な建物は空襲にも耐え、戦後もしばらく生き延びた。中でも「東京宝塚劇場」は「アーニー・パイル劇場」としてGHQに接収され、娯楽の殿堂として戦後の一時期、異彩を放つ存在でもあった。

米兵が管理し、日本人立ち入り禁止の米兵慰問のための同劇場だったが、メインのパフォーマーたちは日本人ばかりだったというのが驚きだ。彼らがプロ中のプロであったことは斉藤 燐 著「幻の劇場 アーニー・パイル」(新潮社)に詳しい。ドイツ、ロンドン、ロス、ニューヨークと渡り歩いたある日本人の男がこの劇場の総監督に就任したことで、演目、ショーの質は占領軍慰問劇の枠を飛び越え本場ブロードウエイにも匹敵するレベルとなり、その劇評は「ニューヨーク・タイムス」紙にも掲載されたという。

こうした伝統を受け継ぎ、その後も劇場や映画館が集うエンターテインメント街として賑わう日比谷には、日本でもトップレベルの豪奢なホテルをランドマークとし、奥座敷には日比谷公園が佇み、20世紀モダーンな界隈のいにしえを今に伝えている。そこには、隣接する華の銀座とは異なる独特の風情が漂う。そして、おそらくこの地に最初のテーラーとして出店したのが、「batak日比谷」だ。銀座の老舗テーラーとは趣が違う、日比谷というモダーンな文化にふさわしい、日比谷育ちのテーラーを目指して・・・。どうぞ、これからもご贔屓に。