新奇性の強いイノベーティブなデザインを企業に提案すると、日本の経営者やデザイン部門のディレクターは間違いなく飛びつくと言います。ところが同じ提案を欧米のヘリテッジ・ブランドに対して行うと、なかなか採用に至らないケースが多いそうです。これは、海外で活躍するプロダクトデザイナーからお聞きした話です。
むき出しの新しさに対して慎重な姿勢を取るヘリテッジ・ブランド。おそらく彼らが大切にするのは「新しさ」よりも「クラシシズム」なのでしょう。 というのも欧米の古い街並みや中世から続く生活空間は「クラシシズム」の典型であり、そこで使われるプロダクトも生活空間と調和するようにデザインされているからです。たとえば、ダイソンやフィリップスのような家電製品は先進的に見えて実はクラシックな要素を大切にしています。昔からの血統を受け継ぎながら進化を形成していく欧州の自動車デザインなども、「クラシシズム」の概念を具現化したものであることは言うまでもありません。
洋服のデザインに目をやると、モードの世界でさえも「クラシシズム」に活路を求めるようになっているのが現状です。もちろん、奇抜なデザインで世間をあっと言わせたい、と考えている日本の若いデザイナーやテーラーも少なからず存在しています。彼らにとって一番恐れていることは、自身が手掛けている洋服のデザインを「普通だ」と評価されることです。
欧米の高級テーラーによるビスポーク・スーツのデザインはきわめて「普通」のものばかりです。変わったことは一切やっていません。精緻にプロポーションを設定し、立体的なボリュームを作り、着る人の身体とのバランスを煮詰めていく。「極めて美しい普通」を生みだす仕事をしています。彼らは、既製服が必死でやっているようなデザイン・アイディアには興味がありませんし、「普通」であることに恐れなど感じていません。
日本人デザイナーや経営者は”普通”であることを恐れるあまり、デザインの余白を潰そうとします。そこに自分たちのオリジナリティを表現しようと過剰な要素を加えてしまうのです。オリジナルにこだわることは確かに大切ですが、商品の品数の多さ、情報量の過多、グローバリズムの妥協といった基本設定の中で、オリジナル(独創性)だけを追求することにはもはや無理があります。時代は変化しています。
若い世代の「スーツ離れ」の要因のひとつであると私たちが考えるものに、既製服における「スーツの脱スーツ化」があります。動きやすいストレッチ素材のスーツ、冷涼な通気のいいスーツ、冠婚葬祭&就活オールマイティなスーツ。これらの商品は、その価値をスーツ以外の物性へとズラすことで成立させています。要するにアイディア・スーツです。こうした脱スーツで育った世代がやがて普通のスーツを着なくなるのではないか、という不安があることは否定しません。しかし、イノベーティブなデザイン発想が、「美」を追求できているかというと、はなはだ疑問です。欧米の「クラシシズム」のような、過去の財産を振り返り、そこから進化へつなげていくデザイン発想や、「普通」であることに思惟の深さを求める服づくりには、アイディアやイノベーションだけでは凌駕できない先達たちの知恵が織り込まれています。日本もこれまでのように、新しさにのみ価値を見出すのではなく、成熟した文化・デザイン発想からその本質を理解して行くべきではないか、と私たちbatakは常に考えています。
参考資料:日本車 vs ドイツ車のデザイン─〝普通〞を怖れるな!(GQ誌2017年7月9日 刊)
西村吉雄著「イノベーションは万能ではない」(2019年11月23日 日経BP刊)