Column

ミッドセンチュリー・ドレイプ。大人の1950年代

〜映画「イタリア旅行」を観て気づいたこと〜

「イタリア旅行/ Viaggio in Italia(’54年)」という何やら楽しげなタイトルの映画をご存知でしょうか。主演は、あのイングリッド・バーグマンと英国の俳優ジョージ・サンダース。後にバーグマンの妻君になるロベルト・ロッセリーニ監督の作品でした。ストーリーは、倦怠期を迎えた富裕な生活を送る英国人夫婦が、イタリアのナポリに所有する別荘を売り払うために、旅行がてら彼の地に滞在する数日間の出来事を描いています。タイトルからはイタリアの風光明媚な観光名所を記録した作品に思えて、実はバーグマンとサンダースのお洒落な服装や生活スタイルを楽しむためのシネモード作品に仕上がっている点に注目です。バーグマンの9等身もあろうかと思えるほどのスタイルの良さ。サンダースの成熟した男の色気。スノッブなクルマ(ベントレーMark5)、食事、酒。このご両人、イギリスの階級で言うアッパーミドルクラスに属するわけですが、富裕であっても情念の希薄な生き方に閉塞感を感じている夫婦。そんな規範に縛られた男と女の関係がラテンの感性と出会い、情念に目覚める場面でカタルシスを迎えます。この作品を観ていて、ふと気づいたことがあります。あのダニエル・デイ=ルイス主演作「ファントム・スレッド」と、「イタリア旅行」でのサンダースの服装アイテムが、類似している点です。ラグランスリーブのオーバーコート、ツイードのジャケット、ダブルブレストのウーステッド・スーツ。いずれも、ビジネスユースというよりも、休暇やナイトライフにふさわしい「ゆとり寸」をとった大人の装いにハッとさせられるのです。片や’50年代を舞台に想定した現代の作品「ファントム・スレッド」、片や’50年代前半に製作された当時の作品「イタリア旅行」。両作品ともにミッドセンチュリーを描いているので、洋服が似ていても不思議ではないのですが、’50年代らしい独特な成熟感を言い表す共通のトレンドや様式がないことに気がつくと同時に、スクリーンを通して各々のアイテムの出来の良さにも驚かされるのです。

〜なぜ50年代のスタイルは魅力があるのか〜

「ファントム・スレッド」や「イタリア旅行」に登場するような’50年代の注文紳士服が、注目を集めたケースというのはあまりなかったかもしれません。考えるに’50年代の前後に位置する’40年代、’60年代にはそれぞれ顕著な傾向が存在していました。“フォーティーズ”と呼んでいた’40年代のスーツは華美で、凝った作りにアッパークラスと仕立屋との親密な関係が垣間見えます。一方、’60年代であれば“シクスティーズ”と規定されるシンプルでミニマルな引き算的スタイルが即座に頭に浮かぶはずです。しかし、’50年代スタイルと言った時、アメリカの「ボールドルック(既製服)」のような際立った記号性もスタイルも存在しません。なぜなのでしょうか。

〜スタイル・アイコンのない’50年代〜

’50年代を境に、モノを作る生産技術は工業製品、加工食品、大規模農業、もちろん被服産業などあらゆる分野において飛躍的に進歩します。被服産業について言えば、既製服が一気にマーケットを支配していく時代です。洋服商い(あきない)で言えば、’60年代はまだ前半までは家内制手工業で成り立っていた注文服でしたが、その勢いは残滓のようなもので、拡大傾向にあったわけではありません。’60年代のミニマルな(簡素化した)スタイルは、そんなモノづくりの構造変化を汲み入れたメタファーだったのかもしません。では、本題の’50年代における注文紳士服の特徴的な「スタイル・アイコンは何か」の回答は、結論から言えば「ない」と考えてさしつかえありません。つまり、多様さこそが注文服の魅力であり、定型的なスタイルではないところにビスポークの意味があると考えられるからです。別の視点で捉えると、’50年代こそがビスポークの沸点であり、注文服が注文服として伸びやかに作られていた時代でもあったわけです。

〜去りゆく大人の時代〜

’50年代をビスポークの隆盛期と捉える背景にはもうひとつの現象があります。二次大戦後、若年人口の急増で消費文化の担い手が若年層に移って行ったことです。いわゆるベビーブーム世代の登場。巨大なマーケット・ボリュームを有する「若者」に向けて提案されたライフスタイルは、既存の常識と同時にテイラード・ウエアの世界を過去のモノにしたのです。以後、マーケットの大きさがもたらす=商売になる若年層をターゲットにした消費トレンドの萌芽が’50年代半ばを境に形成されていき、やがて「スウィンギング・ロンドン」「モッズ」「サイケデリック」といったサブカルチャーの出現により、大人の成熟したスタイルが衰退していった経緯は誰もが知るところです。映画「イタリア旅行」が秀逸だと思われるところは、そんな戦勝国であり近代化してゆく若者(子供)の国、英国やアメリカに対する旧弊な文化の豊かさを思い起こさせてくれるシーンに出会えることです。カラッとした自然豊かなイタリアの郊外には昼寝のまどろみの中、いつも歌声が響いています。そして、夜ともなれば庶民的なバーやレストランに大人の男女が集い、掛け替えのない時間を過ごすのです。その時、バーグマンのお洒落な服装はもちろん、サンダースのジャケット、スーツ、コートのいずれにも英国人の服装でありながら、「ゆるさ」「くつろぎ」を感じるのです。