日本の男性洋服の骨組みを作り上げたという意味で、アイビー・ルックが果たした役割は絶大なるものがあります。いまだに、その骨組みは継承され、揺るぎない世界観を持ち続けているというのも驚きです。ビスポークの世界においても、アイビー・ルックの成熟形でもある北米北東部のエスタブリッシュメント・スタイルを所望する方は今でも少なくありません。
日本におけるアイビー・ルックの本質は「豊かさに対する餓え」であったと解釈できます。なぜなら、多くのアイテムはアメリカ人にとってありきたりの日常着だったからです。なにしろ1ドル360円のレートでは、手に入れようにもそう簡単にはいきません。中には映画や洋雑誌を参考にしてはテーラーに注文する人たちもいました。また、限定的な情報の中から「ジャケットは三つボタン段返り」、「シャツはオックスフォード地のボタンダウン」、「ネクタイはレジメンタル」など“こうでなければいけない”といったルール化や着こなしのシステム化を提唱したのもアイビー・ルックの流行がもたらした現象です。これはある意味、日本における男性洋服の大衆化と底上げに寄与したものと言えます。
アイビー・ルックがもたらした功績は多大である一方、情報がない時代だけに誤解も生み出しています。ひとつに、アイビー・ルックがイコール、アメリカン・トラディショナルだという認識です。実際は、ニューイングランド周辺のアメリカで言えば非常に小さな地域(コネチカット州やニューハンプシャー州などいずれの州も全米50位前後の広さ)から発信された高学歴・富裕階層の若年向けスタイルでした。ですから当時アメリカには、英国仕立てやイタリア仕立てを得意とするテーラーももちろん数多く存在していました。
ふたつ目は、アメリカの多様性(ダイバシティ)です。宗教や人種、階層の異なる多様な人々の服装は、なかなかひとくくりにできません。日本のアイビー・ルックのように“こうでなければいけない”が実際にまかり通るわけではありません。そして一番のミスリードは、アイビー・ルックはあくまでも大学生〜若者の日常着であり、第一線で活躍する大人が着る服装ではないということです。政・官・学・財の分野で活躍する大人になったアイビー・リーガー(ニューイングランド周辺のエリート私立大学出身者たち)は、馴染みのテーラーを抱えている人がほとんどです。彼等はニューヨークであれ、ワシントンであれ、控え目で抑制が利いたスーツやジャケットをテーラーに注文します。そして、それらのテーラーにはイタリア系やユダヤ系など仕立て職人がたくさん在籍していました。ちなみにハーバード出身のアイビー・リーガーであったケネディ大統領は、ニューヨーク57丁目に支店を持つサヴィルロウ・テーラー「H. Harris」(※1)を馴染みとし、日本で言うアメリカン・トラディショナルとはほど遠いケネディ独特のスタイル(※2)でスーツを仕立てていました。
※1 現在は廃業している。
※2 肩を若干つくり、タイトなアームホール。2ボタンでウエストを軽く絞ったシルエット。トラウザーズはかなり太目。