Column

サヴィル・ロウの、今。

ロンドンのサヴィル・ロウについて、もはやこのブログで説明する必要はないのかもしれません。その歴史や著名なテーラーについては雑誌や書籍に繰り返し記されていますし、現地を訪れている方もいるでしょう。したがって、ここではサヴィル・ロウの近況についてお話したいと思います。今、輝かしい歴史的なレガシーの裏側でどんな状況に直面しているか。歴史や伝統が資本の論理でいかに翻弄されているのか。調べてみると、そこには決して安泰ではないサヴィル・ロウの一面が浮かび上がってきます。

実は意外と知られていませんが、サヴィル・ロウという地はロンドンを代表する地域でありながら、小売店街の大半が英国所有のものではありません。2014年時点でノルウエイの政府系投資ファンドが57.8%(メイフェアを含む)の資産を取得しているのです。そして、通りに面した100年以上の歴史と格式を誇る老舗テーラーの複数軒は、香港や中国の投資会社に買収され、ブランド・ビジネスへの拡大路線をひた走っています。

ハリウッド俳優を起用した既製服のキャンペーン。約100店舗を擁する中国国内への多店舗展開。この他にも、巨大アパレル企業による資本注入、経営権の取得などがビスポークの老舗暖簾の下でさまざまな動き、たとえば、既製服ラインの追加はもちろん、大手百貨店とのブランド・コラボレーション企画や新たにデザイナーを起用した商品ラインまで、その歴史と格式というブランド資産を活用し、伝統的なビスポーク・テーラーの枠組みを超えたビジネス展開が行われています。

ともすれば、こうしたサヴィル・ロウが百年の歳月をかけて築いたビスポークの伝統とは相容れない動きに困惑する人たちも当然います。具体的には、香港の投資会社に買収された老舗テーラーにおいて、重役が6名以上も辞任するという事態が起こっています。このような揺らぐサヴィル・ロウの過去と現在をつなぎ合わせようと立ち上がったのが、2004年にサヴィル・ロウのテーラー5店舗で立ち上げた「サヴィル・ロウ ビスポーク アソシエーション(SRBA)」でした。現在は、サックスビル通りやオールドバーリントンの老舗店も加え、16店舗を擁する協会組織に拡大。もっとも歴史のある店で1771年、いちばん新しい店で2001年創業というメンバーで構成。近隣の通りから加盟参加があるように、サヴィル・ロウ周辺100ヤード以内に店舗を構えていることが条件のようです。記されている規約には、「マスターカッターによる直接採寸・型紙製作」、「2ピーススーツに対して最低50時間以上の手作業を行う」ことなどテーラーとしての技術維持向上がうたわれています。ただし、その行く末については同業者によるギルド的な組織だけに、競争原理が働かない業界保身の体制にならないかどうかが懸念されるところでもあります。

さて、いまや英国の小売による高級品市場規模は来年には960億ポンドを超えると予測されるまでに成長を維持しています。小売業に対する投資は旺盛で、有望視されているストリートが数多く存在しているため、開発計画も目白押しとまで言われています。なかでも洗練された富裕客層と観光客の増加により、サヴィル・ロウは長い歴史の中で一朝一夕では得がたい資産を築きあげてきました。その原動力は、ビスポークの技が生み出すスーツやジャケットであり、決してブランド・ビジネスの手腕でないことは確かです。

アメリカで受注会を始めたのが1930年代。サヴィル・ロウの黄金時代はこの時から始まったと言われています。以降、主要な顧客であり最大の市場は地元英国ではなく、服づくりの技量に心酔したアメリカが担ってきました。その状況は今でも変わっていません。アメリカ人の購買力とセンスがサヴィル・ロウを支えてきた歴史に、これからどんな変化が訪れるのでしょうか。イングリッシュ・ドレープ スーツで世界を圧倒したサヴィル・ロウは、自らが築いた価値と美学についていま何を想っているのでしょうか。