Column

書評「テーラーより愛をこめて」 ピーター・ブルッカー/マット・スペイザー著

モダナイズされたサヴィル ロウを語る時代の節目で、「モッズ」や「カーナビー」といった’60年代スタイルの研究やレポートは取り組みも幅もどちらかと言えば限定されたものでした。たとえば、‘60年代のロンドン・テーラリング業界の寵児でもあったボンド映画のテーラー、アンソニー・シンクレア。彼がどのような人物であったか、どのような位置づけで活躍していたのか、仕立て価格はいかほどであったかなどについては、それほど時間をさかもどる事実ではないのに、これまでほとんど探求されてきませんでした。また、洋服を着たスタイルが創り出すヒーローやヒロインの「架空の人格づくり」について、ボンド映画の著者、映画制作者たちがいかに情熱を傾け、その情熱が服装を通じて映画作品の成否を左右するかについてあまり理解されてきませんでした。単純に映画監督テレンス・ヤングや原作者のイアン・フレミングの趣味志向を拝借・模倣した、という話ではありません。確かに、アンソニー・シンクレアを製作会社のEONに紹介したのは映画制作陣でしたが、驚くべきは彼らの経験値の高さと、身だしなみに対する奥の深さです。本書は、ボンド映画と衣裳の解析書ではなく、壮大なプロジェクトを被服というクリエーティビティから挑んでいった男たちの有り様をさりげなく描いています。これまでにありがちだった「映画と衣裳」の書とは違う、知性を刺激する作品と言えるかもしれません。洋書ですが、ぜひご一読を。